映画『白ゆき姫殺人事件』鑑賞。
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殺人事件を扱ったサスペンスだが、事件を捜査する警察官が真犯人を追うストーリー……ではない。登場するのは、事件を伝えるテレビのワイドショーや、情報を拡散するツイッターのつぶやき。そして生々しい人間関係が描かれていく。本当にうんざりするくらい。でも、とても引き込まれるスリリングな展開で見応えがある。おすすめ。
この作品から感じたテーマのひとつは記憶の捏造。取材される「関係者」が次々と証言するが、語る人の視点が変わるたびに見聞きした出来事や人物像は食い違いをみせる。まるで黒澤明の映画『羅生門』を思わせる展開。観客は翻弄され、真相は藪の中……ではなく、徐々に核心に迫っていく。
記憶はウソをつく。同じ出来事を見ても人により記憶は容易に捏造されたり、自分の都合のよい解釈をしたりするらしい。心理学者による実験などもあるようで。厄介なことに、本人には悪意がなくても嘘の記憶がつくられることがある。
人々の頭の中でつくられた現実。事実と想像がごちゃ混ぜになって憶測で話す人と、それを聞いて編集してストーリーをつくり伝える人と、それを見聞きして無責任な憶測や感想をつぶやいて拡散する人。恐ろしいのは、犯人がこの構造を利用できてしまうこと。ひとりの人間が追い詰められていく様は「大きな力」を思い知らされる。
もうひとつのテーマは情報の拡散。日常でSNSを使う僕たちは「無関係」でいられない。善意の発信であっても時に人を傷付ける。あるいは標的は自分になるかもしれない。一旦広がってしまった情報は元に戻せない。「マスコミの闇」「ネットの闇」の恐怖は確かに存在する。
しかし、個人的な意見としては、マスコミやネットの役割には肯定的だ。多くの人に情報を分かりやすく伝えることができたり、ささいな意見や感情を発信・受信できたりする手段があることは素晴らしい。結局メディアも道具なので、いかに上手く使うかということ。使う人間の持つ善意も悪意もひっくるめて受け入れたい。
情報の拡散については、MITメディアラボ助教のスプツニ子さんが雑誌『クーリエ ジャポン2014年5月号』の連載で興味深いことを書いていた。 曰く、世界のバイラル(クチコミ)には3つの大きなエネルギーがあって、それは「ヘイト(憎悪)」「エロ」「ユーモア」だというのだ。
もし自分が情報の発信源になるのなら、ユーモアのエネルギーを使えたらいいなと思う。
Humorの語源はHumanではないか、という見方もあり、実際、ユーモアを解するのは人間だけである。
相手の立場を思いやり、自分と相手を対等の階梯に置いて接する人にしか、ユーモアのセンスは持てないと言われる。相手を見下したり、逆に卑屈になったりする人には、ユーモアの資質が欠けるとみなされる。
悪意に満ちた残酷な世界をつくるのか、ユーモアに溢れた世界をつくるのかは、僕たちの発信次第だ。
さて、本作のキャッチコピーは「ゴシップエンターテイメント」。情報の奔流に身を任せて、楽しめる娯楽映画だ。殺人を扱ってたりドロドロした人間関係だったりで小さなお子様にはおすすめしないが、メディアリテラシーの教材として使えるのではないかと思う。ラストには救いもある。多くの人に観てもらいたいと願う。
「世界中が君の敵になっても……」僕は言ってもらえるかな?
(2014-06-30追記)Blu-rayの予約可能になったのでリンク追加。
原作本。
同じ原作者作品の映画化。松たか子の鬼気迫る演技が印象的な傑作。