阪神・淡路大震災から20年。

成人式のため帰省していた岡山から、高速バスを使って大阪府堺市の下宿に戻ったのが、あの日の前日。当時大学生だった僕は、不規則生活の夜更かしからそのままにぼんやりコタツで転がっていた1月17日午前5時46分。

堺市は震度4だったけど、古い木造住宅で体験した長い揺れ。電気は付けっ放しだったけど、停電はなく、出入り口ドアが歪むこともなく。それでもかなりの建物が軋んだので、恐怖だった憶えがある。震度4でもほぼ動けなかった。

その後テレビで徐々に伝わってくる状況に釘付け。前日にバスで通過したかもしれない阪神高速が倒れている光景に愕然とした。

一方で、同じ関西地方に暮らしていながら、テレビを通してみる被災地の様子は現実感が薄かったのも正直なところ。結局自分が住む場所では直接の被害はなく、ほどなく通常の授業やサークル、バイトの日々に。でもたった数十kmしか離れていない場所で、水を汲むために行列しているというのは奇妙な感覚だった。

直接自分の目で被害の大きい地域近くまで行ってみたのは翌月になってから。その年に弟が神戸の大学を受験するになっており、本人も気を揉んでいて、下見に来るというので現地で合流してみるという機会だった。僕は東側から電車で向かい、その時点での終点JR住吉駅までたどり着いた。途中、多くの荷物(恐らく支援物資)を抱えて西へ向かう人や車窓から見える生々しい瓦礫は被災地を実感させられた。その後何度か被災地の邪魔にならないようにお手伝い。ボランティア元年といわれるのもこの年かな。

あれから僕たちは少しは賢くなっただろうか。僕も含めてなかなか身にしみてない人も多いと思う。

1.17の被災地では20年経って、震災を体験していない住民が4割を超えたという*1。また、その後に起こった大震災でも地域によりなかなかリアルに実感できていないかもしれない。今世紀に日本で震度7の揺れがあったのは、2004年新潟県中越大震災、そして2011年東日本大震災。あの3.11でさえ、東日本と西日本では体験は異なる。

備えても備えきれない想定外のこともあるだろう。だけど同胞の経験を生かして日常できることをして、せめて節目の日には何が起こったのか振り返っておきたい。Yahoo!JAPANのページを見てそう思った1月17日。

阪神・淡路大震災から20年。震災から学び、未来に備える – Yahoo! JAPAN

ちなみにウェブデザインはスマートフォンにも最適化されている。あの時はまだインターネットがこんなに生活に入り込んでなかったなあ。

▼ARアプリで震災直後の様子を確認できる。iPhone持って神戸に出かける方はどうぞ。